漢民族以外の民族の動向

モンゴルとチベットでの動き辛亥革命により清国が消滅すると、その旧領をめぐって中国、モンゴル、チベットは、それぞれに自領域を主張した。

中国は清領全域を主張した。

これに対して、モンゴルとチベットは、自分たちは清朝の皇帝に服属していたのであって中国という国家に帰属するものではなく、服属先の清帝退位後は中国と対等の国家であると主張し独立を目指す動きが強まった。

ポタラ宮、当時のチベットの中心地1913年、モンゴルではボグド・ハーンによって、チベットではダライ・ラマ13世よって中国からの独立が宣言され、両者はモンゴル・チベット相互承認条約を締結するなど国際的承認をもとめ、これを認めない中華民国とは戦火を交えた。

この状況は、モンゴル域への勢力浸透をはかるロシア、チベット域への進出をねらうイギリスの介入をゆるし、モンゴル・ロシア・中華民国はキャフタ協定に調印批准、チベット・イギリス・中華民国はシムラ協定が模索されたものの問題の解決には至らなかった。
update:2010年03月11日